プレゼンテーションでは、Wieden Kennedy時代に手掛けた「Googleで、もっと。」や「NIKE MUSIC SHOE」などを例に挙げつつ、“プラットフォームとストーリーテリングの融合”をテーマにコマーシャルとアートの関係性を過去・現在・未来に渡って多角的に分析。これまでのような“コマーシャル=お金、押し付けがましい”といったイメージから脱却し、デザインやコマーシャルの概念を押し広げていくためにも、仕組み(=プラットフォーム)の創造と、それを形付ける文脈(=ストーリーテリング)を融合させていく重要性について語った。
欧米の企業がソーシャルメディアのデータを分析する場合、自社でTwitterのツイートのデータを持つケースが多い。その理由は、ツイートのデータを自社のCRM(顧客情報管理)管理システムのデータと結び付けて使うことを想定しているからだ。 今年の1~3月の間だけでも、三つのCRMシステム構築案件で、RFP(提案依頼書)に「ツイートと顧客情報をリンクさせること」という文言があった。こういった企業の場合、ツイッター以外にFacebookの情報もCRMに取り込みたいと考えている。顧客がFacebookに公開しているプロフィールと自社の持つ顧客情報を照らし合わせれば、データをクレンジングしたり、足りないデータを補うことができるからだ。
人、データ、プロダクトの振る舞いといったものとの関係性を定める各種のモジュールを提供するだけで、それを使ってどのような変化を起こすかはサードパーティーやユーザー自身の行動に委ねるモデル
米国では“分析力”をてこに業績を伸ばす企業が増えている。カリフォルニアワインを製造・販売するE.&J.ガロは、高級ワインの成分を徹底的に分析。同じような成分構成の製品を低コストで製造し、大成功を収めている。カジノチェーンを運営するハラーズは、ハイローラー(上客)の店内での行動を分析。その結果、従業員が10分に1回ほほえみかけると満足度が高まり、さらにプレイを続けることを突き止めた。
地震は日本の強烈なコンテンツを世界に発信しました。揺れる国ニッポンという姿ではありません。そんな災害を受け止め、跳ね返す日本の力です。中国の震災に比較して、日本の防災システムや建物の耐震設計を称賛する声。2次大戦から立ち直った日本の復興意識や規律の正しさを特筆する記事。阪神淡路後の対応を評価する論調。パニックも暴動も起こらず、略奪もなく、静かに2列で満員電車を待つ人々。われわれにとっては、当たり前の光景です。
今、自衛隊や警察、消防の方々は、もちろん必要ですが、多くの人を笑顔にする「お笑い芸人さん」も必要なのではないでしょうか。会社もせっかく休みなら、エビスビールを飲みながら、お笑い番組でも見たいです。そこでストレスを発散して、英気を養うのです。 そして、私たちがやることはたった一つ、また明日から一生懸命働いて、日本経済を復活させることです。
一人の人間をオブジェクトとして扱うだけじゃなくてその人が誰と繋がっているのか?誰が新規顧客を連れてきたのか?(つまりはリファラー的に)好みが似てる人は誰なのか?などなどの関係性を理解する必要があるのかもなぁと思う。つまりユーザー台帳的なフラットなDBからもっとセマンティックなDBへの進化が必要。そういう時に誰と誰が何で繋がっているのか?を時系列的に俯瞰できるビュー、つまりはソーシャルグラフ的なモノが将来的に求められるのかもしれない。
つまり、問われているのは、入試の在り方そのものではないのか。外界と隔てた空間で頭の中に詰め込んだ知識の量を問うという選抜方法がこれからも有効なの
か。例えば私の所属する大学院は、知識量よりも、実績と成長可能性を重視するため、入試は書面審査と面接であり、入試業務に全教員が年10日ほどカンヅメ
になります。カンニングの問題は少ない一方、大変な選抜コストを払っています。高等教育が求める人材をどういう方法で選抜するのか、が問われているのでは
ないでしょうか。